医療・看護・介護のトータルサービス施設から介護保険施設の事業廃止へ
きっかけは医療保険の改定でした。老人医療にマルメの制度が導入され、何をやっても、あるいはやらなくても一定点数しか請求できないというものです。私はいい方向に考えました。これまで保険審査が厳しくてなかなかやれなかった点滴、しかし患者さんは実際には点滴が大好きで、特にご老人は点滴で何でも治るように思っていらっしゃる方も大勢います。もちろん医学的に必要のない方まで迎合してやることはありませんが、やっても請求しないなら私が必要を感じた方には審査を気にせずやって上げられる。そのためには処置室のベット1台と胃カメラ用の検査室のベット、心電図用のベットの3台ではとても対応できない。処置室横の理学療法室をどこかへ移転してそこを点滴ルームにしたい。
空けれる部屋があるわけではないので、増築計画がスタートしました。そこに長年の夢、地下室と地域の文化交流のためのミニホールがドッキングして現在の東館になりました。ところが工事が始まってから、「理学療法室と隣り合わせのホールなのでウイークデーには使えない」ということで、「デイケアでもやったらどうか」という案が持ち上がりました。大急ぎで手直しできるところは手直ししましたが、そうして始まったデイケアなのでホール用の設計になっている建物の構造上いくつかの無理や不便さがあります。追々改造できるところは改造していきたいと思っていました。
デイケアが段々一杯になってきて、法的に40名定員から増やせない。そういうことは知らない通所者の皆さんから何とかもっと増やしてほしいという声がたくさん聞かれるようになりました。ちょうど介護保険が始まろうとして、認定作業がスタートしたところでした。医療法人ですから法的にデイサービス施設を作ることは出来ますが、福祉のデイサービスは市の委託を受けないと成り立たない。ところが介護保険では要件さえ満たせば指定を受けられる。しかし、補助金だらけでやってきた既存の施設に対して、補助金ゼロで始める施設は土地・建物から新規に手に入れるのではとても経営的に成り立たない。ちょうど福利厚生施設だった西館3階の用途が地下室へその主体が移動して空けれる状態になってきていたので、そこへエレベーターだけつければ有効利用できる。そうして今度はデイサービスが始まりました。
介護保険で大幅な制約を受け、はじめはガラガラで経営的に危機が叫ばれたりしていたショートステイ。サービスの後退との批判を受け、徐々に利用枠が拡大してきました。そうなると、これまでお願いしやすかった施設も、自分のところの利用者優先となるのは当然ですから、特に医療的に少しでも問題のある方、あるいは徘徊、不眠といった少し手のかかる方は予約を断られるケースが出てきました。これまでにも入院させるほどではないが家へ帰すのは介護される家族の事を思うと悩んでしまうということも多々あり、入所施設を持たない苦しさを感じていましたので思い切って自前の施設を作ることにしました。
老人保健施設は審査などに手間どり、新たに医師を採用しなければならないし、政治力も必要と聞くし、何しろ時間がかかる。そこで福祉型の短期入所生活介護施設に活路を求めました。補助金だらけの既存施設のような立派な物は出来なくても、ハートの一杯詰まった施設にしたい。補助金ゼロのこの施設が倒産しなければ現在の補助金行政を見直して欲しい。税金はもっと使い方を考えて、もっと減らして欲しい。
すでに100人ほど亡くなりました。長年私を頼ってきた方を私の手で見送ることが出来て、この施設を作って良かったと思いました。最初の1人は開設まもない3月、そのために何日も不眠不休で、亡くなった後フラフラで意識が朦朧としておかしくなりました。開所まもなくで未だ色々な手順がしっかりつかめていない時期だったので余計そうだったのでしょう。でももう大丈夫。
訪問介護は大きな柱のひとつだと思っています。通所施設や入所施設に勤務しているスタッフが自宅へもお伺いする、大きな安心が得られるものと思います。在宅と、在宅の延長である通所、入所。これがうまくかみ合ってこそ在宅介護の支援システムが機能すると信じています。しかし、初めて見ると大赤字で直行直帰の人を増やしてそういう人を中心に運営しないと回らない事が分かり、丁度所長さんが病気で退職した事もあり、閉鎖する事のしました。
次から次、いろんな施設を作って、まるで事業家のようですが私にはそういう野心はありません。事実、私個人の収入は外来診療だけのときより減っています。特に経営が厳しくなってからは自分の給与をどんどん減らし、年金を満額受け取れるところまで減らし、現在はさらに減らし形だけの最低の金額にしています。一人で背負いきれないくらいの重荷を負って、それでもなんとか私を頼ってくる人たちに応えたい。個人的な欲とか、野心とかを持ち合わせない私の命は、自分を頼りにしている患者さんたちの為にあるのであって、それに応えるために、応えられるだけの健康な体を維持したいと思っています。そして次の世代につなぐまで元気で体の続く限り患者さんの心と体の杖でありたいと念願しています。
えらそうに聖人君子のようなことを言って、それでも夜中になるとストライキを起こして飲んだくれて、電話にも出れなくなるから、そこで体が休まって、かろうじてこの週100時間労働のスーパーマンの健康が維持されているのかも。その点は頼りにしている患者さん方に本当に申し訳ないことです。
結局、赤字続きで私財を投入しても追いつかず、あと半年続ければ倒産というところまできてようやく介護保険事業からの全面撤退を決めました。職員に退職金をきちんと払えるギリギリの決断でした。それでも、優秀な大勢の職員を失うのは断腸の思いでした。信頼して、気に入って利用して頂いた昔からの平良内科の患者さんはじめ多くの利用者様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
この間に、専門の消化器疾患で分担執筆した「ケアマネージャーの医療知識」という本を中央法規から出版しましたのは苦しい中での良い思い出になりました。