浜松リバティライオンズクラブメンバー

 氏    名      入会年     SPL    生年    勤務先会社名         住所(町名まで)
                       (個人情報の保護に配慮し、名簿より大幅に省略させていただいています)

花柳 寿絵美鳳  2009.3   平良 章   S3   花柳寿絵美鳳の会・会主     浜松市中区萩丘
林  吉三    2010.3   今村 哲久  S26  林鋼機椛纒\取締役       浜松市東区小池町
今村 哲久    1997.12  金原 典正  S23  今村工業椛纒\取締役      浜松市南区大塚町
石田 真健    1980.12  CM     S24  石田歯科医院院長        浜松市南区卸本町
石岡 勝     1989.11  移籍     S10  浜松駅前ビル          浜松市中区旭町
伊藤 博     2011.3   水元 重友  S39  伊藤 博税理士事務所       浜松市中区曳馬
伊藤 勝久    2006.4   今村 哲久  S33  潟Cトウ製作所代表取締役    浜松市南区寺脇町
伊藤 和夫    2006.4   金原 典正  S21  (有)パスエイト代表取締役    浜松市南区寺脇町
岩崎 達人    2010.3   今村 哲久  S37  高林幸裕税理士事務所部長    浜松市中区曳馬
加茂 静夫    2000。5   石田 真健  S13  鰍jIS代表取締役       浜松市南区米津町
川津 徹     2011.3   平良 章   S34  潟潟oーホープ         浜松市南区瓜内町
金原 典正    1997.1   安達 和男  S22  葛煬エ鉄工代表取締役      浜松市南区恩地町
久保田 啓嗣   2007.6   加茂 静夫  S19  聡伸コーポレーション代表取締役     浜松市中区中央
松尾 滋樹    2006.4   金原 典正  S22  (有)連設計一級建築事務所    浜松市東区市野町
水元 重友    1981.3   CM     S12  学校法人ミズモト学園理事長   浜松市中区板屋町
中村 公一    2001.9   金原 典正  S24  ナカムラ装室代表        浜松市中区名塚町
西川 光治    2011.3   平良 章   S25  潟<fィカルサンフラワー    浜松市西区志都呂町
小木 一一    2009.4   平良 章   S26  司法書士小木一一事務所     浜松市南区瓜内町
岡田 一臣    2009.3   金原 典正  S30  岡田製作椛纒\取締役      浜松市東区小池町
岡本 明     1987.7   松本 勇   S10                  浜松市東区半田山
齋藤 臣子    1998.7   松本 浩治  S15  (有)斉藤アルミ工業所      浜松市南区瓜内町
清水 章夫    1980.12  CM     S12  丸源且謦役会長        浜松市南区卸本町
清水 正信    2006.11  齋藤 臣子  S33  あいおい損害保険梶@      浜松市中区下池川町
杉山 儀市    2007.2   今村 哲久  S20  叶剋R製作所代表取締役     浜松市中区船越町
杉山 康治郎   1988.7   田中 一行  S20  杉山染工(有)代表取締役     浜松市中区船越町
鈴木 英生    1986.6   土屋 静雄  S10  鈴木歯科医院院長        浜松市中区元城町
平良 章     1983.11  齋藤 孝   S21  医療法人社団浜松平良内科    浜松市南区瓜内町
龍口 基雄    1981.10  川合 康平  S14  龍口歯科医院          浜松市中区成子町
和田 朋彦    2011.3   平良 章   S46  和田医院院長          浜松市中区西浅田
                                                   (ABC順)

認証状伝達式
30年前でした

西見寺での花見例会
みみの里の仲間を招待して行いました

仮装例会
こんなこともやってみました

 私たちは、前回の周年行事からの5年間だけでなく、浜松リバティライオンズクラブ結成以来の30年間をまとめて振り返り、私たちのクラブがこれまでどういう奉仕活動をしてきたかを検証するとともに、共に手を携えて歩み、今回の周年行事を前に10年間に及ぶ癌との壮絶な戦いを終えた同志・松本浩治君をはじめ多くの物故ライオンと過ごした日々を思い、彼らの遺志を引き継いで明日への奉仕につなげていきたいと思います。                 

(文責:記念誌担当:平良)