沖縄と浜松の交流の歴史

 「武器無き国ぞ東方に在りしと聞きて驚きし・・・」と歌われた平和貿易国家・琉球王朝が千六百九年(慶長一四年)、突然薩摩藩に侵略され、与論島以北の奄美諸島を直轄地として奪われて、且つ属国として参勤交代同様、徳川将軍襲位の慶賀使、琉球王即位の謝恩使による一年から一年半もかかる「江戸上り」が十八回も行われました。そのうち、第七回(1710)と第十八回(1850)に高臣がいずれも浜松宿で亡くなり、平田の西見寺へ葬られ、後の方のお墓は現存し「琉球塚」として祀られています。

 こうした経緯からか、平田町の凧絵は美里王子から送られた「檜扇」となっています。また、現在は西鴨江に移転した西見寺およびその本寺である宗源院の寺紋も「檜扇」です。

 また、薩摩に侵略された時、駿府に隠居した家康と将軍秀忠に謁見させられましたが、この旅で病死した具志頭王子が、清水市興津にある清見寺に葬られています。この清水、浜松の二つのお寺を供養のため訪れ奉納舞踊を奉げる琉球舞踊団が平成八年から毎年来静されています。本日の第一部は、この琉球古典芸能を守る野村流の皆さんで、無形文化財に指定された2人の方を含む総勢五十人の方々が出演されます。

 第二部は、遠州地方を始め東海地区で活動している沖縄民謡、獅子舞、棒術、エイサーのグループが出演します。エイサーは遠州大念仏とよく似ており、浄土宗の僧・袋中による布教が始まりと言われ、沖縄では旧盆など盛大に行われておりますが、遠州大念仏がそのルーツであると言われています。

(解説・浜松リバティライオンズクラブ・前会長 平良 章)

プログラム

第1部:琉球王朝芸能交流会

一.  古典音楽斉唱および祝儀舞踊

     渡リゾウ、瀧落菅撹、かぎゃで風節、安波節

二.  二才踊  上り口説

三.  女踊   四つ竹

四.  雑踊   谷茶前

五.  雑踊   鳩間節

六.  古典音楽斉唱  松竹梅

七.  雑踊   浜千鳥

八.  女踊   かせかけ

順番や演目に変更がある場合があります。歌詞解説担当:知花さん

   

第2部:琉球民謡協会東海支部

一.    民謡(唄・三線) 安里屋ユンタ、芭蕉布、てぃんさぐぬ花 磐田市を拠点に沖縄文化を遠州に広める赤地貞子琉球民謡研究所の歌姫達

二.    獅子舞 エイサーチーム「琉神」と赤地貞子琉球民謡研究所の皆さん

三.    民謡(唄・三線) 上等小節、ヒヤミカチ節  愛知県豊田市を中心に東海地区で活動中の港川繁琉球民謡研究所:友情出演

四.    民謡(唄・三線) ハイサイおじさん、花(すべての人の心に花を)赤地貞子琉球民謡研究所の門下生によるメドレー

五.    エイサー・棒術 テンヨー、仲順流り、いちゅび小節、久高マンジュー主、安里屋ユンタ、唐船どーい、サイヨウ節、テンヨーエイサーチーム「琉神」は静岡を拠点とするエイサープロ集団です。

六.    フィナーレ カチャーシー

会場の皆さん、出演者全員により軽快なリズムにのり、沖縄独特の手踊りで沖縄に染まりましょう。