日本医師会での活動

日本医師会では、静岡県医師会からの選出という形で、医師会病院・共同利用施設検討委員会と乳幼児保健検討委員会の2つの委員会委員を拝命しました。

医師会病院・共同利用施設検討委員会
 文字通り医師会病院と医師会員が共同で利用する施設である医師会臨床検査センターの問題を検討する委員会です。当時は多くの医師会病院が赤字で苦しんでおり、それでも初期の志通り一般外来をせず、医師会員からの紹介外来のみに頼っていたようです。そこでもっぱらの議論は一般外来をやることの是非でした。私は、これからの地域医療は開業医が外来、病院は入院医療と棲み分けをすべきで、病院の外来は専門外来、特殊外来などの紹介外来に限るべきで、今その理想の形を医師会病院は実現しているわけで、それを一般社会に広げる運動をすべきではないかと主張しました。大御所の委員の先生方からは実情を知らない若造がというような猛反発を食らいました。しかし、当時の厚生省の若い方が常に会議に出席しており、委員会が終わってからいつも質問攻めにあい、帰りの時間を忘れてたくさん議論をしました。私は、「地域は大きなホスピタル」という考えを主張しました。例えば、浜松で言うと電話の053地域を1つのホスピタルとみなし、各病院もこぞって最先端機器を導入して競争するのではなく話し合って機能分化を図り最先端機器の共同利用を考えるべきだし、全ての病院が全科をそろえた総合病院である必要はなく、例えば整形外科はどこ、小児科はどこといった風にそこに専門医を集中し高度医療が出来る様にした方が良いと思いました。もちろん、開業医と病院の棲み分けが前提です。時には、必要ならば開業医が交代で病院の紹介外来を担う事があっても良いのではないかとも思いました。彼らは、ぜひ浜松で実現して欲しいような事を言っていましたね。私も浜松市医師会の副会長になって、いろんな機会でしゃべりましたが、また夢みたいな現実離れした理想論を語っているとあまり相手にされなかったように思います。私の言ったすべてではありませんが、大病院が全て開放型病院になった事や、地域医療支援病院を目指した事等は当たらずとも遠からずと嬉しく思っています。

乳幼児保健検討委員会
この委員会では、保育所・幼稚園児の保健の第2回改訂版を作りました。私の担当は、保育所・幼稚園における育児支援でした。その原案を紹介します。

日本医師会編集「保育所・幼稚園児の保健」分担執筆・平良担当分 U.保育所・幼稚園における育児支援  原案



この執筆の途中で役職を失職しましたので、最後の1年間は肩書のない静岡県医師会のみとなりましたが、最後の大御所の先生方が譲りあって、結局最後の答申書を私が書く羽目になりました。その原案を紹介します。手直しはありませんでした。

10.日本医師会乳幼児保健検討委員会「委員会答申」原案(平良原案)

終わってご苦労さん会が開かれ、大御所の先生方にいたく励まされ、とうとう帰りの新幹線に乗り遅れてしまい、日本医師会の手配であの有名な山の上ホテルに宿をとっていただき、翌朝早く帰ったのはとても印象深い思い出となりました。