平成9年度日本医師会医政シンポジウムの報告

「医療における情報開示の諸問題」

静岡県医師会報・平成 年 月 日発行?

静岡県医師会理事 平良 章

 

 平成9年度医政シンポジウムが、平成10年2月7日(土)、日本医師会館にて開催されました。
テーマは「医療における情報開示の諸問題」であります。
 石川副会長の司会で開会、坪井会長は冒頭の挨拶の中で、患者さん、国民のための情報公開であり、「これまでどうであったか」よりも「これからどうするべきか」を考えていきたいと話されたのが印象に残りました。


講演T「臨床における情報伝達の質と価値」と題して、京都大学総合診療部の福井教授にお話しいただきました。ある調査によりますと、医師にきちんと説明して欲しいと望む患者さんは97%とのことですが、結果的にきちんと説明してもらえたと感じる患者さんは39%であるといいます。医師が意図的にきちんと説明しないということはないと思われますが、説明する量が多くなればなる程、反比例して理解はしてもらえなくなるともいわれます。どうも説明の仕方の技術的な問題、コミュニケーションのとり方を大学で、医学教育の中で教わっていないことに問題がありそうです。まず1に、相互の信頼感の醸成、2に、診断のための情報、3に、マネージメント(治療など)の決定のための情報交換(インフォームド・コンセント)、4に、治療的効果を考えて進めていきますが、医療情報伝達にはことさらむづかしいものがあります。それは例えば外来診療後10−80分で、40%の患者さんは医師の話した内容が思い出せないといいますし、60%は誤って理解しているともいわれます。疾病自体によるコミュニケーションの阻害もあるでしょうし 、情報ニーズに対する患者さんと医師との認識のずれも無視できません。それは例えば、患者さんが医師を選ぶ、評価する基準として第1に「腕の良さ」をあげるのはうなづけるとして、第2位は「きちんと説明してくれる」ということなのです。ところが医師の側は1位の「腕の良さ」は当然として、「患者さんへの説明」は6番目だというのです。これではなかなか患者さんの信頼は勝ち取れないし、患者さんから正しい情報を入手することすら難しくなります。患者マネージメントの不一致の原因は、第一に科学的データの欠如、第二に不確実性でなかなか優劣の判断がつかないこと。第三に患者さん個々の価値観がそれぞれ様々に異なっていることによります。そこで数年前から、科学的根拠に基づいた医療(Evidence-based Medicine、EBMと略されています)が提唱されています。この定義を直訳しますと、最新最良の情報を明示的に、しかも賢明かつ良心的に用いて、個々の患者での臨床診断・決断を下すということになりますが、具体的にはそのプロセスとして、まず患者さんの疑問点を抽出し、それに関する文献を検索します。そしてその文献を批判的に吟味して信頼性を評価し、患者さんへの応用の妥当性を決定するというものです。しかしながら、臨床の現場で多数の患者さんを前にしていちいちそういう手順を踏むのは不可能です。したがって一般的に見られる疾患については、その名もズバリEvidence-based Medicineと題する雑誌をはじめとして、すでにEBMの手法を用いた雑誌も多数出版されておりますので、それを用いると良いでしょう。しかし、EBMとても、医療に伴う不確実性を払拭するものでは決してありません。

高齢の患者さんにおける情報開示の面での問題点としては、
1.信頼できるデータが少ない。
2.利得が小さい。
3.費用効果性の低さ。
4.効用値(種々の健康状態での価値観)を引き出す難しさ。
5.家族の意向の介入。
6.倫理的側面の重大さ
の6つを挙げられました。情報開示と自己決定については例えば、全がん患者の80%はすべての医療情報を知りたいと願っていますが、60歳以上ではその50%は医師の決定に委ねたいと考えているようです。医師・患者関係には「能動・受動型」、「指導・協力型」、「共同参加型」の3つの型が考えられますが、このように、まだまだ日本では特に高齢者においてお任せタイプの能動・受動型がかなり存在するようです。

 情報の伝え方にも問題があります。例えば手術の説明をするとき、生存率で示すと80%の人が手術を希望しますが、日をおいて同じデータを同じ人に今度は死亡率で説明すると手術を希望するのは40%に減ってしまいます。未破裂の脳動脈瘤を発見したとき、放置して破裂する確率が年に1.0%、予防手術による死亡率が0.0〜1.0%である時、説明はさらに困難を極めます。


 午後からは、講演Uとして、ミシガン大学のジョン・キャンベル教授の「患者の立場からみたアメリカ型マネージド・ケアの功罪」と宮城県医師会安田会長他4名による総合討論が行われました。私は、ちょうど私が副会長をしております地元の浜松市医師会の総会があり、平野理事にお願いして中座しましたので、以後は受け売りとなりますことをお許しいただきたいと思います。

 キャンベル教授の講演によりますと、アメリカの医療はインフォームド・コンセントが周知され、患者による医師決定が重要とされています。出来高払いは医療費の高騰をもたらし、その結果として保険者が医療内容に介入することとなり、現在のヘルスケアシステムはマネージド・ケアが主流を占めるようになってきました。マネージド・ケアは初めは小規模のもので、保険者側、医療側の話し合いによるコストダウンが図られ、また、個々の患者さんの情報と医師の専門的判断が配慮される比較的良いシステムでありました。しかし、次第に広域をカバーするHMOが主流を占めるようになり、いろいろな問題がでてきました。医師の判断が制限されたり、入院高額医療の場合は、HMOスタッフ(多くは看護婦)の許可を仰がなければならず、医師が患者に話す自由の制限いわゆるギャグ・オーダーが敷かれるようになりました。救急医療に於いても例外ではなく、これが国民の不満となり、各州の議会で問題となって、例えば明らかに重症であれば救急患者については事前の許可を必要としないなどギャグ・オーダーを禁止する法律が作られつつあります。HMOはこの議会の規制に対して現 在訴訟を起こして争っているといいます。主流となっている広域型HMOを中心としたヘルスケアの問題点は、患者が医師を自由に選択できず、インフォームド・コンセントも形骸化しているということです。

 総合討論は、プレゼンテーションとしてまず、安田・宮城県医師会長が(1)「情報と人間関係」と題して、医療契約は不確定要素が多く、PL法などはなじまない。インフォームド・コンセントは疾患の改善が目的で行われるわけですから、裁量権というより裁量義務というべきで、心理療法の一環というべき医療行為です。その基本である人間関係は心と心の感情移入、信頼、愛情でなければなりません。医療情報の開示はまず行政が率先して行うべきであり、カルテの開示は例えば精神科では患者さんの言動を記載している為、無条件での全面的開示には疑問があると述べられました。

 
弁護士の奥平哲彦氏は(2)「カルテの開示について」と題して、カルテの開示については、その必要性の疑問・混乱に対する警戒を示す医師もあるが、自己の情報をコントロールする権利を認める流れは世界的趨勢であり、新しい医師・患者関係を築く上でも前向きに取り組むべきであると述べられ、まず医師の間で十分に議論が尽くされるべきであり、カルテの開示とインフォームド・コンセントとは異なるものであるとの見解を示されました。

 愛知県がんセンター病院内科医長の福島先生は、(3)「医療における情報開示と危機管理」と題して、情報開示は医療の質の向上に不可欠な条件であり、国の医療情報の曖昧さは、塩酸イリノテカンを例にとってみても、特に副作用については、医師の不注意によるかのごとき記述がなされている。EBMに根ざした開示がなされるべきであり、リスクマネージメントに配慮した、医療訴訟に耐えうる医療でなければならず、カルテの記載はこの点に配慮したものでなければならないと話されました。
  (4)「情報公開時代にいかに備えるべきか」と題して大阪大学の中島教授は、アメリカでは医療は商品であると考えられており、公的なものと考える日本とは本質的に異なる。インフォームド・コンセント、カルテ開示、医師のプロフィールの公開など、I.C.先進国であるアメリカではすでにI.C.は空虚な儀式化しており、リスクの開示と患者のサインを貰うことにエネルギーが注がれている。カルテの閲覧の動機は医師への不信感からであるが、実際に利用しているのは7割が主治医以外の医師と健康保険会社であり、残り3割が医事紛争に関わるものである。カルテは第三者に見られ、訴訟されることを前提に注意深く書かれており、膨大なI.C.の資料と共に、客観的事実が淡々と記されているだけであると述べられました。

 その後、福井教授、キャンベル教授を加えて、カルテの開示を中心とした討論が行われました。カルテの開示を求める動機は、基本的に患者さんの医師に対する不信感に根ざしていると考えられます。日本のカルテの現状は医師のメモ的記載にとどまっており、カルテの開示が法的に制定されれば、カルテの記載についての教育がきちんとなされなければならないと考えられます。現在もすでに医療訴訟に於いてはカルテの開示は行われているが、これを普遍化して、一般人に開示するという法的制定は時期早尚で、充分に議論されなければならない、あくまで医師の自発性を尊重していくべきであるというのが結論のようでありました。


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