浜松市医師会ウイークリー      

ついに初めて
開放型病院協同指導料
を算定したぞ!!

浜松市医師会理事 平良 章

  今頃そんなことを言えば、「理事ともあろうものが何ということだ」とおしかりを受けるのを承知で告白し、その実態を紹介し、まだその点で童貞である諸君への参考に供したいと考えてペンを取りました。3期も理事をやっていて、しかも2期目には開業相談を担当していた私は、医療センターでの開放型病院協同指導料の算定を進める立場でありながらどうすればそれが取れるのかよくわからずにいました。私ですらそうならおそらく多くの会員はやっぱりそうではないかと感じています。私が私の経験を書くことによって一人でも多くの会員の方々の足が時々医療センターへ送った患者さんの方へ向けば、そしてそれが単なるお見舞いに終わらずちょいと1枚、開放型病院協同指導料の算定に結び付けばありがたいと思います。

 初体験は10月26日・火曜日午後、予め医師会事務所で開放型病院協同指導料の3枚複写の用紙をいただいて自分のオフィスで、私が医療センターへ送って現在入院中の5人の患者さんのカルテを出し、毎週木曜日に医療センターからFAXで送ってくるリストと照合しながら、その後転棟したり、退院したりのFAX連絡などで修正しながら先の開放型病院協同指導料の3枚複写の用紙に患者さんの氏名、病棟、診に行く日の日付、自分の署名を書き込んでカルテと共に袋に入れてもって行くことにしました。カルテには日付印と開放型病院協同指導料(1)の印を押します(医協にあり110円、医師会申し込み)。再診、外来管理加算、往診料、各種指導料などは算定できません。開放型病院協同指導料(1)のみの算定です。1ケ月以内と1ケ月超とで点数が違うのでカルテにも入院日を書き込み、コンピューターは2段のフィルブランクとし、1段目は※月※日入院、2段目は※月※日算定としました。これは基準看護の関係か最近は特に1ケ月以内に退院する患者さんが多くなり前月に入院した患者さんの場合、両方書いてないとレセプトだけでは1ケ月以内か1ケ月超かの判断がつかないだろうと 考えたからです。 さて、当日カルテと先の用紙の入った袋を持ち、白衣を着て車で出掛けました。医療センターの職員の大半は面識がないだろうし、私が医師であることを無言のうちに示すには白衣が一番だと考えたからです。医師会の名札をつければもっと良かったのですが、出発してから気がついたのでわざわざ取りには戻りませんでした。次回からは名札をつけていこうと思います。

  まず、エレベーターで最上階の9階から始めて順次下の階へ降りることにしました。入り口の、診療協議会の時にいつも駐車券の無料の処理をしてくれる時間外入り口の係員の居る所はしまっていました。9階には脳出血で救急車で私の所へ来て、救急車内で診察し、とても降ろせないと判断してそのまま転送をお願いした62才の男の患者さんが居るはずでしたがなにしろ5ケ月前の入院でありなんとなく不安。ナースステーションに金子副院長が居られて、現在の状況を説明していただき「前頭葉をやられているからちょっとわからないかな」などと話をして少し気が楽になってひとまず本人を病室に訪ねました。奥さんも私の患者で、糖尿病でインシュリンの自己注射をしている人なのですが傍らにいてくださって、「お父さん、お父さん、平良先生が来てくれたよ」と一所懸命頬をたたくが本人はゴーゴーといびきをかいて反応なし、奥さんと本人の今後のことを話しました。ナースステーションに戻って用意して来た3枚複写の指導料の用紙の下の段、指導内容について看護婦さん(婦長さんのようでした)に相談したら3の治療指導でいいでしょうとのことで3に〇、3枚複写の一番下を1枚貰い 上2枚を渡して、次いで8階に降りました。

 8階には10才のネフローゼの女の子がいます。しかし小児科は開業医・院外主治医が来訪する機会が少ないのでしょうか、物珍しそうな対応、看護婦さんも若い女医さんも妙によそよそしく話しかけてもとりつくしまがありません。ようやく平田部長の顔が見えてやっとホッ、「開放型の協同指導で診に来たんですよ」などとわかったようなわからないようなことを言ってカルテを見せてもらってから病室に患者さんを訪ねました。すっかり浮腫が殆ど取れて人相が変わってしまい、患者さんの方も子供ですしそうしょっちゅう私の所へ受診しているわけでもないせいか、またまさか私が医療センターまで来るとは思ってないのかどうも私を医療センターのお医者さんと勘違いしている様子、現在の状態は把握できたのでいろいろアドバイスをした上で早めに退散しました。協同指導の用紙の指導内容をまた3に〇をつけて看護婦さんに渡したのですが何のことか、またどこへおけば良いかよくわからないようで、「適当にその辺に置いといて下さい」と言ったのか、「一応預かっておきます」と言ったのかで多少不安になりながらも次は7階へ。

 7階には膵臓癌で明日手術という54才の男の患者さんと、敬老検診でOCヘモディア2回とも+で大腸ファイバーをお願いしたら大腸癌であることがわかり、3日後に手術という74才の男の患者さんの2人がいました。ナースステーションの天井を電気工事かなんかやっていて、カルテのある机をビニールで覆ってあり、看護婦さんが「先生、どの患者さんですか、カルテを出しましょう」と声を掛けて下さったがビニールの下なので「先に患者さんを診てきます」と言って病室へ向かいました。手術前の不安、緊張した状態での院外主治医の来訪というのは患者さんにとってもかなり嬉しいものなんだなということが実感できてこちらも来て良かったと思いました。ナースステーションに戻ると脇部長がおられてそこで初めて机の上の協同指導の用紙の沢山入った引き出しを引いて「ここにありますよ」と見せていただきましたが、私は自院で用意して来たので「持って来ました」と言って今度は指導内容のところで5の術前指導に〇をつけて脇部長にお渡ししました。

 最後は3階で糖尿病性昏睡で緊急入院した患者さん。奥さん、子供さんは時々風邪などでかかっていましたが本人は2,3年前に風邪でかかったきりでしたし、全然肥っているわけでもなく、私のところへ来るまで全く糖尿病の気配もなかった方でただだるい、食べれないということで来院し、空腹で尿糖陽性だったので75gGTTを施行したところ、それが初診日の夕方になって逆に糖尿病性昏睡を誘発する結果となり、緊急入院時血糖が1500もあったということで考えさせられた症例でした。かなり良い状態になっていてインシュリン自己注射の練習を始めているとのことで特に奥さんの今後に対する不安が強く、その点をいろいろと話して不安の除去につとめました。ナースステーションに戻ると私の荷物の上に、ここで初めて協同指導の用紙に何かゴム印のようなもので患者さんの名前をスタンプしたものが置いてありました。そこで私は自分が用意してきたものをひっこめてこれにまた3の治療指導に〇をつけて看護婦さんにお渡ししました。これで予定の5人をすべて診終わって、外来受付へ、受付で駐車券を出すと「そこの機械で押して下さい」と言われてもたもたしていますと別の職員が白衣 を着ているからドクターだろうと思っていただいたのか、「開業医の先生ですか、その機械だと100円要りますから無料になる機械にとうして来ます」といって駐車券を持って行ってやってきてくれました。100円や200円が惜しいとかケチとかいう問題ではなく、最近は私もあまり小銭を持って歩かないし、出口で100円入れないと出られないということになってから慌てることのないよう一応知っていた方が良いと思いました。

 さてさて、なんとか無事に開放型病院協同指導料を算定することができました。帰って来て自院でカルテを出し、どういう話をしたか長々と書きました。5人、4ケ所回っただけですがその対応はかなり差があったと思います。室久院長はじめ上層部が一所懸命指導しても、末端まで行き渡るのは容易なことではない、やはり、一人でも多くの医師会員が医療センターへ出向き、開放型病院協同指導料を算定することがだんだんに看護婦さんをはじめ職員を慣れさせ、コミュニケーションを良くする最大の方策ではないかと思いました。皆さん、診療協議会の前の5分でも10分でも良いのです。送った患者さんを診て下さい。そして、開放型病院協同指導料の用紙に記入して下さい。病棟によっては用紙がどこにあるかわからないところもあるし、看護婦さんの応対が悪いところもあるので、当分は予め医師会で用紙をもらって置き、病棟、患者名、日付、自分の署名をしておいて持って行くのが良いと思います。なお、3枚複写の3枚目は外して自分のオフィスへ持って帰りカルテに貼り、始めに述べたように保険請求をしなくてはなりません。実際に自院へ受診していないのに自己負担が発生することが ネックだとは思いますが、入院中当分来ない以上は一部負担は当然未収金であり、貸し倒れで処理せざるを得ない場合もあるのではないかと思ったりもしています。

  開放型病院の存続の危機などというのが新聞に出たりしました。県西部浜松医療センターはその前身が浜松市医師会病院です。先の医療法改正で厚生省は『外来は診療所へ、入院は病院へ』というのを保険点数で誘導しようとして失敗しました。外来はむしろ負担金の安い病院へ流れたし、病院側も入院患者の確保の為にかえって外来に力を入れたからです。これから本当に『外来は診療所へ、入院は病院へ』と誘導するには最終的にはいわゆる病院を『完全紹介外来制』にすべきだというのが私の持論です。しかし一気にそんなことができる訳ではありませんから、まず紹介率をどんどん高めることが必要だと思います。そして、病院と診療所のキャッチボールを確実に行う、病院医師と診療所医師との信頼関係を築く、私たち診療所医師もその為の研鑽を怠ってはなりません。浜松医大がまず紹介率30%以上の特定機能病院になること、医療センターが私たちの努力で紹介率を高め特定機能病院になり、同じように浜松市内のすべての病院の紹介率が高まり、特定機能病院になっていずれすべて紹介率100%になっていけば自ずと『外来は診療所へ、入院は病院へ』と機能分化すると思うのです。そ してそれができるのは第一線の医療をあづかる私たちしかないと私は信じています。この機能分化は「かかりつけ医」だか、「かかりつけられ医」だかを持ち出さなくてもプライマリケアとそれぞれの専門を生かした退院後のフォローと、そして在宅の終末期の医療をある程度担って行ければ十分機能して行くものと思います。尊大なことを申しましたが、「まず足元の一歩から」ということで私の経験を披露し、持論の一端を述べさせていただきました。ご参考になれば幸いです。


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