浜松市医師会ウイークリー
年男としての感慨を静岡県医師会報新年号に先に投稿してしまったので、こちらへは「忙しい」ということで最近感じていることを書きたいと思います。今日、忙しい中を代診を頼んで関東甲信越静学校心臓病予防研究会群馬県大会へ静岡県医師会学校保健担当理事として日帰り出席しての帰り、新幹線の中で「忙しいのは誰のせいだ。あ、おれのせいだ」というシャープのザウルスというパソコンか何かのコマーシャルを見て思わず吹き出してしまいました。たしかに誰のせいでもなく自分が引き受けた立場のせいなのです。
最近、関東・東海地区に住む沖縄宮古島の平良中学校の同窓会が頻繁にあり、先日私のスケジュールの空いた日にということで私の自宅へ大勢集まってくれました。その時友人たちが「おまえが好きでやっているかどうかは別として向いていることは確かだよ。小さい頃からそうだったもの」と口々に言われ苦笑しました。ただ、私にとっての救いは忙しいことがちっとも苦痛でないこと、「忙しい」というのは「心を亡くす」という意味だということですが、私自身は忙しいことを楽しんでいる、あるいは忙しいと心を亡くすどころかむしろ充実感を感じる、つくづく変な性分だなあと思いました。
若い頃読んだ小説で「Boredom and Excitement(退屈と興奮)」というのが印象に残っておりますが、それは日々の退屈というものがあって初めて真にエキサイトすることが出来るのであって、いつも刺激のある生活では真の興奮は得られない、退屈というものの重要性を説いたものでした。そういう意味では退屈する暇のない生活の私には早期の「燃え付き」が心配されるところです。
しかし、忙しいことによって起こる弊害の主たるものは大切な仕事がきちんと全うできずに中途半端のまま二進も三進もいかなくなることがままあることです。学校給食の問題も、外国人労働者の医療のことも、その他興味を持って手をつけかけたいくつかの仕事が、次から次へと押し寄せる県医師会理事として分担された職務上の急ぐ仕事のためにどうしても後回しになっていくことに歯痒さを感じながら、やはり少し自分の時間が欲しいと切実に思います。
全く自分だけのために時間があったら何がしたいかと言うと、まずいろんな医療機関の設計。各職員の動線を思い浮かべながら無駄のない配置を考えていくのはとても楽しいものです。琉球大学の法科を中退して翌年、医学部と建築学科を両方受かって医学部の方へ進んだので、あのとき建築を選んでいたら自分の人生はどう変わっていたかなと想像する楽しみも加わります。2番目は実のなる木を集め育てること、盆栽は趣味でありませんが実のなる木を集めるのは大好きで、徳島で大学時代に建てた自宅は自分の設計で、四方に植えたザボン、ぶんたん、葡萄、山桃、すだち、花梨、くりなど百本近くの実のなる木に囲まれて四季折々の果物を楽しみ快適でした。今やっと少し木を植えるスペースが出来たのに苗木を買いに行く暇も植えて面倒を見る時間もなく残念な思いです。
昼間は毎日大勢の患者さんを診察しながら、レントゲンは胃透視からDIP、DIC、骨の一般撮影、胃カメラや腹部ECHOまで一日中院内を走り回り、それでも患者さんとの毎日の漫才のようなやりとりを楽しみ、十分に医師としての人生を満足して過ごしていますし、今余暇の殆どすべてを費やしている医師会の仕事も会員のみならず地域社会の保健・医療・福祉のお役に立っているという自負を持って取り組んでいます。あとは早くこうした仕事を自分よりも有能にこなして下さる方をみつけ、ともに頑張ってそして後を託すというのが次の楽しみになりそうです。