ライオンズクラブへ入って

「心に浮かんだよもやま話」

浜松リバティライオンズクラブ会報−1991年2月号(第25号)

 浜松リバティライオンズクラブのメンバーになって八年目に入りました。ロータリークラブ同様、金持ちの道楽、自己満足という批判のある事も入ってから知りました。会社の経営者、個人事業主の集まりですから困窮している人はいないとしてもいろんな面でちょっと違うなあと思っています。We serve と言いながら実際の入会の動機も様々でそれに幻滅してやめて行った仲間もありました。

 お山の大将の集まりですからそれぞれに自己主張も強くなかなか調整がつかないこともあるし、そのたびに自分の主張がとうらなければやめるという人が必ず出て来てさらに問題を複雑にしてしまいます。一所懸命やる人ほど報われないときの挫折感が強いのは当たり前ですし、人生を止めてしまうのに比べれば会社を潰す訳でもないし、ライオンズクラブを止めてしまうくらい訳無いことでしょう。なんでそんなに一文の得にもならないことをそんなに一所懸命やらなくてはいけないんだという馬鹿馬鹿しさが頭をもたげることもあるでしょう。

 そんな中で自分がこのクラブのメンバーであり続ける意義はどこにあるのだろうかと時々考えます。強い自己主張のはざまで妥協点を模索し、お互い傷つかぬように決着をはかる、そのスリルとその間の精神修養、「怒ると真実が見えなくなる」とメンバーの誰かが言いました。どんなに激論を戦わせても常に相手の主張に耳を傾ける冷静さと公平さ、「寛容と忍耐」という言葉はその言葉が最も必要とされる組織だからこそだということがこのごろやっとわかりました 。

 しかし、中にはこのクラブに入ったからこそ知り合えたという素晴らしい仲間がいます。たかだか80年程度の短い人生を生き抜くうちに一人でもそういう仲間を得ることができればこんな幸せなことはないと思います。入会の動機はどうでも良いのです。入ってから良い仲間にめぐりあい、我慢することを覚え、人の意見を聞く耳を養い、そしてこの組織の共通の目的である社会奉仕に共に心をくだく、それがわたしがこのクラブのメンバーであり続けようとする唯一のよりどころであると思います。

 社会奉仕だけなら24時間テレビに貯金箱をもって行くこととかチャリティゴルフを企画するとかライオンズのメンバーでなくてもいくらでもやれるし、また、それぞれの人がそれぞれの立場でやっていることなのだから。


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