静岡県医師会報第1225号、平成10年10月15日発行

編集後記

 介護保険の準備が着々と進んでいます。教授の異名をとる平野理事には、今回も解説記事をいただきました。浜松でも今夜「かかりつけ医意見書の書き方説明会」が開催され、盛況でした。焼津市医師会からも、「かかりつけ医」に関するアンケート調査報告をご寄稿いただきました。私も、立場上特にコメデイカルの方々のいろんな団体からたびたび講演を依頼され、また情報に近い場所に身を置いているので耳年増になっているようです。ただ私は、介護保険構想が浮上したときから反対論者で、しかも要介護認定の考えが盛り込まれるに至っては背筋の寒くなる思いがしました。

 介護保険に1割の自己負担が導入され、2000年4月のスタートに合わせて、整合性の観点から医療保険に老人の1割の定率負担が導入されるのは必至の情勢です。医師あるいは医療機関にその必要度の認定が任されている現在の医療保険ですが、介護保険で認定されなかった人たちが逃げ込み、社会的入院ならぬ社会的医療を生み出す可能性は日増しに大きくなっています。

 それは、介護保険そのものが今はやりの公的資金(はっきり言って税金・公金なのにその徴収と管理を一手に握っている大蔵省が関連の民間企業である「銀行」を救済するために作られた言葉、もう少し言わせてもらえば税金で救済すべきは預金者の元本だけであって決して企業としての銀行ではない)をできるだけ出したくないという思想の元に制度設計がなされているからです。

 認定制度が比較的抵抗なく導入されてしまった背景には、福祉の措置制度、施しの思想が根底にあります。しかし、介護保険は保険料を払う以上施しではなく、義務を前提とした権利なのです。そのことがスタートから論じられなかった。私の親しい厚生省の技官は、「先生、いくら先生がそういっても認定制度の是非などそんなに問題になっていないんですよ。むしろ、最終的には市町村が保険者になることを観念するかどうかにかかっている。何らかの支援制度を作って観念させたところで法案が通る。」と言いました。結果はその通りでしたが、しかし私は、これからも常にこの制度に批判の目を厳しく向けつつ検証していきたいと思います。医療の現場におけるEBM (Evidence-Based Medicine、県医師会報・平成10年3月15日号20-22ページ参照)の手法を実践していきたい。少なくとも、厚生省の代弁者にはならないつもり、少しでも患者さんのために改善の余地があると思われる部分は、今後も提言し続けたいと考えています。

 最もおそれる事態は、認定から漏れた人たちが医療保険に逃げ込むことによって医療保険財政が再びパンクし、医療保険に認定制度が持ち込まれることにあります。その伏線は、医療の無駄を排除しようというキャンペーンにも感じられます。医師が、薬漬け、検査漬け、社会的入院等でなかなか医療の無駄がなくならないという世論を形成することによって、だから、そしてまた介護保険との整合性の観点からも、医療保険にも認定制度を導入することが望ましいという考えです。皆保険制度のないアメリカで、今や主流となりつつある民間の医療保険あるHMOでは、そこと契約した医療機関のみで、しかも救急患者ですら治療開始前に電話でHMOの事務局(大部分は看護婦)の指示を仰がなければ治療を開始できないという認定制度まがいのことがすでに行われているのです。

 皆さん、EBMです。論文や法律を批判的に吟味してその信頼性を評価し、現場応用の妥当性を常に吟味し、意見を述べましょう。
  

(平成10年9月29日 平良 章 記)

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