院長のひとりごと(2005年4月3日)

 6年前に医師会の役を降りた。もう、この業界はもちろん、上に立つ仕事や世話役はしたくないと思った。しかし、断りきれない性格が災いしていつのまにかろう・重複障害者の授産施設「遠州みみの里」とあゆむ会の会長を引き受けてしまっていた。ろくに手話も出来ないくせにだ。20年以上チャリティゴルフ大会を開院の周年行事として積み重ね、1000万円以上のアクトを続け、また浜松リバティライオンズクラブの20周年の会長としてろう・重複障害者との共生のあり方を模索している自分だというおごり・みすぼらしい自己満足が根底にあったと思う。貴方に是非引き受けて欲しいと言う甘い誘いも耳に心地よかったのだろう。確かな後ろ盾でいるはずがいきなり会を代表する暖簾に変わってしまった。梯子を外された2階からものの見事に転落した医師会組織への対抗心もあって、会長などというだいそれた役を引き受けてしまったのだろうと思う。おそらく、私にその役を持ってきた人たちもまさか引き受けるとは思わず次の手を用意していたはずなのに。

 ま、でもそれは3期目以降にお願いすることとして、就任のとき語った夢が1期2年目の大会と同時開催で実現し、名古屋から招いた聴覚障害者のロックバンド「ブライトアイズ」浜松公演の大成功、600席の浜松市福祉交流センターを650枚のチケット販売枚数ではあったが、60数万円のチャリティ資金の大部分は結局平良内科チャリティゴルフの資金で経費の全てを補填したことで得られた金額だった。2期目の企画、チャリティ絵画展は、経費の全てを平良内科チャリティゴルフの資金で賄ったといっても、500万円強のチャリティ資金を得たことは凄いことだった。そして、2期目の締めくくり。私は、バリアフリーと共生をテーマに、障害者のための音楽祭を開催したいと思った。もう一度「ブライトアイズ」そして大阪を拠点に活躍する視覚障害者のロックバンド「シャンテ」、さらに浜松出身で横浜在住の聴覚障害を持つピアニスト「宮本まどかさん」をお招きしての音楽祭にしたい。


 一方で、所属するライオンズクラブもクウォター、25周年を迎える。驚異的な回復力で、手術不能肺がんを克服した親友の更なる目標として松本君に25周年の会長を受けてもらった。当然、私が大会の実行委員長として全面的に支えることが条件である。同時期に2つのイベントの実行委員長を両方とも出来ないし、みみの里全面支援を打ち出している我がクラブとしては共催の形をとるのが望ましい。しかし逆にそれが今回の企画の最大の難点でもあった。記念行事の祝宴をどうするかで困った。昨年浜松で開催した前回の「オールジャパン・リバティナイト」で宴席の食料が貧弱だったと言う評価があり、今度は名誉挽回をという考えと、私のように一昨年のブライトアイズ浜松公演の後の交流会同様、出演者を交えた2000円程度の会費での交流会をイメージするものとの食い違いが表面化した。遠くから来てくれるお客様へのもてなしも大切にしたいし、どちらも捨てがたい、悩みは深まるばかりだ。どだい私らのような人間はライオンズなど向かないんじゃないかとすら思う。

 来年の4月29日にアクトシティ浜松中ホールを仮予約することから始めたい。予約が取れないと出演交渉も出来ない。大まかな姿も絵にかけないし、大会の時間・場所・招待客の範囲や祝宴のあり方など細かい議論も始められない。そのために早く趣意書を書かなくてはいけない。もう予約開始の4月1日は過ぎてしまった。筆が進まない。苦しい。



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