保険医年金に入るには保険医協会員でなければならないということで会員になった私だが、今回の改定の概要を大筋で承知していたにも拘わらず敢えて今日この会に参加したのは「予想される『かかりつけ医』など、第三次医療法改正の動きを探る」というチラシにつられ、『かかりつけ医』に対する保険医協会の考え方が知りたいというのが目的であった。しかし、そういう意味では何も得るものはなかった。いきなり写真を撮られ、原稿を依頼されたのは私が静岡県医師会の理事であるという物珍しさからであろうか。
それはさておき私は、“かかりつけ”というものは患者と医師との心の契約であると思う。そこには「頼みますよ」「任せなさい」という心の結び付きがあり、信頼関係がある。しかし、これは患者主導の契約であり、3年に一度位しか来なくても何かあればあそこへ行く、あそこが自分の“かかりつけ”だと思っている人もいるだろうし、1年以上子供達をひきつれてしょっちょうかかっていても“かかりつけ”とは思っておらず、また誰かが「こっちのお医者さんが良いわよ。」と言えばそちらへ行くという人もいる。
したがって、たとえ「これからは先生に命を預けるから頼みますよ。」と言ったところで、もし心が離れれば自然と来なくなるし、また男女の一目惚れのように一度受診しただけで今日からここが自分の“かかりつけ”だと思える出会いもあるだろう。こうした患者さんとの人間関係は、私たちが開業医の原点として最も大切に育んで来たものである。したがって“かかりつけ”には時間的、空間的距離よりもお互いの心の距離が決め手になる。これを“あり方論議”として議論するのは大いに結構、「24時間携帯電話を持って自分の患者は四六時中自分で面倒をみるべきだ。」という人
がいたり、「医師も人間なのだからそんな事は不可能で、休日・夜間はお互い交替でやって人並みに休息を取り、フレッシュな頭で診療時間は一所懸命患者さんのことを考えてあげようよ。」という人がいたりしてあり方を考えるのは良いが、これを制度化してしまうとなると話が違う。
心の契約がお金の契約となり、いざという時の事を考えればやはり時間的距離の方が大切となり、また“かかりつけ”とそうでないものとの差別を生み、応召の義務もどこかへいってしまう。契約の破棄は“心が離れた”では済まない金銭的なトラブルになるかもしれないし、契約の獲得、維持のために患者さんにへつらう心理的な弊害すら生むかもしれない。
しかもこれは、おそらく厚生省が医療費抑制の切り札として長年手を変え品を変え狙い続けて来た登録医制度にほかならないと思われ、今じわじわと進行しているマルメとドッキングするのは時間の問題と考えてほぼ間違いないと思う。私たちが長年苦労して地域住民のコンセンサスを得て構築して来た夜間救急システム、休日当番医制度をぶちこわし、医師に“24時間対応”という超人的な犠牲を強いる暴挙であると思うのは私一人ではあるまい。日医も、保団連も
この件に関しては一致してその制度化に反対して欲しいと願っている。