6回目の新年のご挨拶


 あけましておめでとうございます。年末の連日睡眠時間1日3−4時間という必死の頑張りで、12月24日、ついに「静岡県医師会ホームページ」が開設できたはずでございます。未だ不十分で、これからも手を抜かず充実に努めていく所存ですが、私にとっては年を取ってからできた、目の中に入れても痛くない実に可愛い息子でございます。末永く可愛がっていきたい、いただきたいと念願しております。それにしても、何度も読み返した入門書の類、蛍光ペンでしっかり線を引き、まだそのあと、赤のボールペンで下線を引いてあるのに、全く読んだ記憶がない、「自分で一から手作りで」と挑んだ無謀さに何度悲嘆にくれたことか。しかし、誰でも年々確実に年を取るという事実は、昨年老人デイ・ケアというのを始めてみて今更ながら実感しております。呆けてしまった父母のような、中には兄、姉のような方々と長時間接し、また自宅にお伺いして家族・家庭と接していくと、日本の高齢化対策は決してうまくいっていないと感じます。個人がいくら頑張ってもどうにもならない、政治の貧困がもたらした現実に唖然とすることがしばしばです。

 「本来、政治は何もしなくても、地域社会が自らその将来像を選択していく、そしてそれは大部分においてはそう誤りがない」とたかをくくっていたのが誤りでした。私たちは今何をなすべきか。この混迷の中に光はあるのか。お年寄りの手を握りながら、何とかこの人たちの力になりたいと虚勢を張っています。もうすぐ21世紀。新しい時代へ向けての産みの苦しみがもたらす世紀末の混乱なら、次世代へ夢を託せるでしょうか。執行部の一員として、決して他力本願の考え方はすまいと気張ってはいますが、朦朧とした頭で先を見る目がなく残念です。これを打開するにはキリスト一人ではおそらく無理で、若さではなく、なんとかしなければという意欲のある人たちが集まっての建設的な、白熱の議論が必要なのではないでしょうか。私も若い、若い、まだその任ですらないと一部の実力者と称する人たちに言われてきましたが、すでにもう私たちより下の世代に軸足を移すべき時に来ていると感じています。

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